神様のご利益をいただくには

投稿日: カテゴリー 神様


少し古い話ですが、平成二十四年度の熱田神宮豊年講教養講座が開催され、熱田神宮権禰宜(当時)の嬉野誠氏が、「神様のご利益をいただくには」という演題で講演をされました。大変、勉強になるお話でしたので、その一部をご紹介します。講演のすべてをまとめた冊子はクボデラ株式会社にありますので、ご興味のある方はお問い合わせください。無料送付させていただきます(電話03-3386-1153)。

ご利益とお守り・お札は切り離すことができません

「神様のご利益をいただくには」ということでお話をしたいと思いますが、その前に皆様方良くご存じのお守り・お札についてお話したいと思います。お守り・お札は各神社で調製いたしておりました。特にお札は版木に墨を塗って一枚一枚版画のように刷って調製しておりました。近年になってからは、たくさんの体数をとても神社では調製できなくなってしまい、代わりに調製してくれる業者にお願いするようになってまいりました。

業者が調製して出来上がりましたお守り・お札を神社に納めますが、その時点では、まだお守り・お札ではございません。単なる物品です。
それでは、何時、お守り・お札になるのかというと、神様にそのお守り・お札に宿っていただくお祀りをして、神様に宿っていただいた時点で、初めてお守り・お札になるわけです。それを皆様方は一年間無事に暮らせるようにとお受けになられるわけです。
そして、一年過ぎると、今度はそのお守り・お札を一年間有難うございましたと感謝を込めて神社にお返しするわけです。

神社にお返ししたお守り・お札にはまだ、神様が宿っています。そこで、神社ではこのお守り・お札から神様に出て行っていただくお祀りをします。そうしますと、今度はお守り・お札から、単なる物品に変わります。物品に変わったから、そこで初めてお焚きあげができるわけです。一月十五日ごろに各神社で執り行われておりますが、神社によっては、その日に限らず、常時執り行っているところもございます。
物品になって初めてお焚き上げができるのであり、神様が宿っている状態でお焚き上げをすると、神様を火あぶりにしているのと同じです。とんでもない。そんなことはできません。これがお守り・お札の基本でございます。

お札・神棚

 

最初になぜ、このようなことをお話したかといいますと、ご利益とお守り・お札は切り離すことができないほど、かかわりがあるからです。一番わかりやすいご説明を申し上げます。

皆様方が神様をお守りするのです

交通安全のお守りがございます。新しく車を購入されたときにお祓いをしていただき、交通安全のお守りをいただいて車に取り付ける。多くの方がよく受けられる車祓いの流れです。お祓いを受けられた方は清々しい気持ちで安心してお帰りになられるわけです。
ところが、お祓いを受けたから、交通安全のお守りを取り付けたから交通事故が起こらなければ、この世の交通事故は随分少なくなるのではないでしょうか。しかし、現実に交通事故はたくさん起きています。
皆様方が車のお祓いを受けたとします。新しい交通安全のお守りも取り付けたとします。お帰りに猛スピードで、すべての信号を無視して帰ってみましょう。自宅まで無事にたどり着くかどうか疑問です。お祓いを受け、お守りも付けたのに神様のご利益はないのか。ご利益があるかないかの前に、神様に護ってもらおうという心の持ちようが、そもそもの誤りです。

私に言わせますと、神様に護ってもらおうなんて百年早いわ、何を甘えたことを言っているのだ、となります。逆です。皆様が神様をお護りするのです。交通安全のお守りを車に付けたら、その交通安全のお守りには神様が宿っておられますので、神様そのものです。その神様をお護りする気持ちで運転するとどうなるでしょう。自然と安全運転になり、譲り合いの気持ちにもなるでしょう。このことが結果的に神様に護ってもらったことに通じるのです。

だから、考え方を変える。気の持ちようを変えてみることが非常に大事なわけです。神様をお護りする気持ち、譲り合う気持ちを持つことです。私は熱田神宮の前に、淡路島の伊弉諾神宮に奉職いたしておりました。小さな島にもかかわらず車の台数が多く、車のお祓いも多いわけです。

ある日、私も若かったのか、虫の居所が悪かったのか、車のお祓いに来た若い男性が、お祓いが終わってから、「これで安心や。ほっとしたわ」と言ったので、「車をお祓いしても安心なんかできんわ。事故は何ぼでも起きるわ」と返答してしまいました。すると、どうしたらいいですかと不安な顔をして尋ねられました。 「交通安全のお守りさんに対して恥ずかしい運転をせず、お守りさんをお護りする気持ちで、最愛なる人や大切な人を乗せていると思って運転すれば自然に安全運転になり、事故も起きない。神様に護ってもらうのではなく、神様をあなたがお護りするように」と説明したら、大いに納得して、大変喜んで帰りました。多分、この若者は、以後、事故を起こすことはなかっただろうと思います。

神様は努力を惜しまない人にご利益を施します

なかなか神様は護ってくれませんよ、ご利益を施してくれませんよ、という例えがほかにもあります。わかりやすい一例として、受験合格があります。これは本人が一番わかっていると思います。自分が一生懸命に勉強したか、しなかったか。まったく勉強もせずに神頼みばかりでは、合格するわけがありません。勉強もせずに神頼みは虫が良すぎる、いくらお守りをいただいても同じことです。 神社でいただいた合格守を目の前に置いて、お守り様に対し恥ずかしくないように、気を抜くことなく勉強しよう、お守り様が見てござる、お天道様が見てござる、神様が努力せよと申してござる、との思いで勉強しておれば、ご利益をいただくことができるわけです。神様は努力を惜しまない人にご利益を施してくれるという一例だと思います。

 

皆様方は豊年講の講員ということで、農業に携わっておられるわけですが、神様、お天道様にご利益をいただいて生計を立てておられると思います。先ほど来、神様は簡単にご利益を施してくれないと申し上げておりますが、農業に関しての一例を申し上げたいと思います。
私は淡路島の伊弉諾神宮に奉職しておりましたが、七月二日頃に半夏生祭とうお祭りを奉仕いたしておりました。暦の上で半夏生という日があります。辞書には「夏至から数えて十一日目の七月二日頃に当たる。この頃から梅雨が明け、田にカラスビシャク(半夏)が生えるのを目安に、田植えの終期とされてきた」と書いてあります。
昔からこの半夏生の頃から稲に蟲が付くと言われております。伊弉諾神宮では半夏生祭の後に、竹に結んだお札と御幣を氏子に領布いたします。氏子はいただいたお札を田んぼの中央に立てて、御幣は田んぼの四方に立てて蟲除を祈願するわけでございます。

カラスビシャク
カラスビシャク

このお札と御幣は田んぼに立てられたらそのままです。風雨にさらされたままです。稲に蟲が付き始めて、蟲がどのくらいの期間、田んぼに居座るのか私は知りません。また、その蟲はどんな蟲で、大きいのか、小さくて見えにくいのかもしれませんが、蟲除のお札がその役目を終える頃に、お札は田んぼの中に倒れ、風に飛ばされて、自然消滅するわけです。

しかし、一番蟲が付きやすい時期にお札を立てるわけですから、神様の効力が最大の時なのです。でも、お札を立てたからといって、蟲が一切付かないわけはない。お札や御幣を立てるだけで蟲が付かなければ、毎年、豊年満作になるはずですが、不作の年も現実にはあるわけです。

そこで、皆様方はどうすればよいのかというと、前に申し上げましたように、お札(神様)をお護りするわけです。お札と御幣を田んぼに立てた後、雨風にさらされているので、大丈夫かなと気になってしょうがない。気になれば気になるほど、田んぼに足を運ぶ回数が多くなり、その時、稲の様子も一緒に見ることになります。蟲が付いているかどうかも見ることになります。お札をお護りするこの行為が、結果的に稲も護ることになり、しいては神様のご利益をいただくことになっていくのです。秋の収穫時期には神様のご利益をいただいたことになるのです。

神様をお護りすることが、神様に護っていただくことにつながるのです。これがご利益です。ご利益とはそこらへんに落ちているものではありません。皆様方の努力がご利益となっていくのです。

なぜ儲かる会社には神棚があるのかという本を紹介します

この豊年教養講座での話の内容をある程度決めていた矢先に、神社新報という神社関係の新聞と、宗教団体各社のことを記事にしている中外日報という新聞の新刊図書で、「なぜ儲かる会社には神棚があるのか」(窪寺伸浩著)という本が紹介され、面白そうだと感じ、早速購入して読み始め、あっという間に読み終わりました。

この本を書かれた方は、木材関係会社の社長さんで、神棚セットの調製と販売もしている方でした。この本にかかれている内容は、私の考えと驚くほど似ていました。
まず初めに、「神棚は、取り付けさえすれば業績がアップする魔法の道具ではありません。社長の、社員の考えを、習慣を、良い方向へと変えていく、そのきっかけとなるようなものです」このように書いています。まったく、その通りだと思います。神棚を付けただけで業績がアップするなら、倒産する会社はないはずです。

次に「お札やお守りをもらってくる。とても良いことです。ですが、単に神様のお札をいただいて持っているのと、神棚に祀るのとでは、その重みが全く異なります。はっきり言いましょう。いかなる神様のお札やお守りを置こうとも、神様を祀るという行為がない限り、それはまったく意味がありません」
と書いておられます。 要するに、お札を神棚に納めても、お札を神棚に置いているだけでは意味がないということです。祀るという行為があって初めて意味を成すのです。祀るとは毎日、お掃除をして、お水などをお供えして感謝の気持ちでお参りし、祈りを捧げる行為のことです。私が先ほど来、言っているように、お守りをもってさえいればよいのではないのです。

次に書いてあるのは、「神様を利用する人は、神様に利用される。一般的に、祟りや罰などの不幸を与える神様は、大変なご利益を与えてくださる神様です。例えば、この神様は大変ご利益があると聞いて、その神社から分霊していただき特別な御宮で祀った人がいるとします。その人は、どうぞ〇〇億円儲かりますように、お願いいたします、と祈願していたとします。
そして、神様もし、これらの祈願が叶いましたら、今ある御宮を倍にしましょう。鳥居を追加して建てましょう。などと神様に取引の条件を付けたとします。神様のご利益か、その人の努力か、あるいは偶然の一致か、その人の祈願することが現実になったとします。その人は大喜びで、ありがたい、ありがたいと、ますますその神様に感謝して、信じて、約束通り、御宮を倍にし、鳥居を建てたとします。しかし、欲からくる願いが叶えられると、やがて人は感謝の心を忘れてしまうもの。ご利益ばかりもらって、その神様との約束を忘れてしまったとすれば、神様は病気や経済的問題などを通じて、その人に約束を履行するように求め、働きかけるのです。
つまり、自分の利益ばかりを求めて、神様を利用しようとするときは、たまたま当たって、ご利益を得ることもできるし、祀り方を誤ったり、神様との約束を忘れたりして、神様のご機嫌を損ねれば不幸があるかもしれない。自分の利益のみを神様に願い続けるならば、その願いを聞いてくれる神様は、人間から何らかの報酬(報恩)を求める似た者同士かもしれません」。少々長く読み上げましたが、神様も人も色々と大変ですね。

神棚は神様のお家、必ず準備してください

次にこんなことを書いておられます。「神棚では、お神札が中心にある存在です。スペースがないからといって、柱に画びょうで留めたり、ロッカーの上に無造作に置いてある会社があります。これではだめです。お神札はお守りではありません。持っているだけでは意味がないのです。あくまでも、祀るという行為がなくては、それは単なるお守りをぶら下げているだけで、神様の力を発揮することはできません。それに、神様の宿っているお神札に穴をあけるなど、あってはならないことです。
ロッカーの上は場所がなければ神棚を取り付けるのによいところですが、無造作に置くのはいけません。高さがあるのはよいですが、ロッカーの上は人の目が届きにくく、埃がたまりやすいものです。埃のたまった場所は、神様のすみかとしてふさわしくありません。御宮がなくても、小さくても、本物の木でできた棚板や神棚の上に、お神札はお供え物とともに祀られるべきということを、よくよく認識していただければと思います」

私が授与所に座っていますと、よく尋ねられます。「今、厄除けのお祓いをしていただきましたら、これをいただきました。どうすれば良いのでしょうか」と、お札を取り出してみせるのです。私がどのように返答しているかをお話しする前に、尋ねられた若い神職や巫女の返答はどうなのかをお話しいたします。
まず、「一年間お祀りしてください」と言っています。すると、お祀りとはどうするのですかと尋ねられます。その答えは、「神棚に納めてお祀りしてください」です。すると、神棚はありませんと言われて、「それでは失礼のないように、目の高さ以上のところに置いて下さい」と答えています。参拝者が、本棚の高いところに置いても良いですかと尋ね、「はい」と答えていました。
私に言わせると、とんでもない、情けない説明で、説明になっていない状態です。私が授与所で、それは違うと言い出すと混乱し始めるので黙っています。しかし、私が授与所勤務の時に、参拝者からお尋ねがあった場合は、このようにお答えいたします。

「まずは神棚を準備してください。お社を準備して、そのなかにお札をお納めしてください。神棚の向きは北側で南向きにしますが、お家の造りによって、できない場合は東向きでも西向きでも構いません。しかし絶対にしてはならないのが、南側で北向きです。これはどんなことがあってもだめです。何故なら、人間死んだら北枕です。北に向けるのは避けるべきです。神様は南向きにしてあげてください」と言います。
すると、「わかりました。でも、神棚がありません」と言われるので、「ほら、きた」と待ち構えたように、「あなたはどこに住んでいますか」と尋ねると、一宮市です、「いやいや住所じゃなくて、今住んでいるのはアパートですか、一軒家ですか、マンションですか」と尋ね、「そこには雨露をしのぐ屋根はありますよね。あなたは雨露をしのぐ屋根付きのお家に住んでいて、神様は野宿させるのですか、神様も人間も同じです。神様に野宿とは不味いのではないですか、とんでもないと思いますよ。せっかくだから神様のお家を造ってあげてください。それが一番大切なことじゃないですか。あなただけ良い目をして、神様は良い目ができないのはやっぱりまずいですね」と説明すると、ほとんどの人が納得されます。

天照大御神様は宇宙全体を照らします

次にこういうことを書いておられます。
「例えば、私が本物の木の神棚を一社でも、一つでも多くの会社、家庭に祀っていただいて、日本の精神文化の基盤をつくり、人々がよりよい生活ができますように、私を、私の会社を働かせてくださいと思ったら、これは「祈り」です。生命の宣言です。この祈りが、神様の意図に近いならば、叶えられるでしょう。
しかし、私が例えば、神棚年間販売台数一万セット、セールしてでも、売りつけてでも達成すると言ったならば、これは目標であり、「祈り」のない単なる願望です。生命の宣言とはかけ離れた思いです。それは叶うかもしれないし、叶わないかもしれません。いや、叶わない確率が高いでしょう。なぜか。ことに当たって、持続する思いが弱いからです。自分一人だけがうまくいくことを願っても、その力には限りがあります。人は誰かのためにという思いがあるから頑張れるものです」
ご自身が神棚を調製・販売している方ですから、分かりやすく、うまく書いておられると思います。

次に書いておられるのは、「よく、日本の神様をお祀りするのに、外国の木を使うのではねぇ、と言われる方もいます。しかし、国境をつくったのは人間であって、神様ではありません。神棚の中心にお祀りするのは天照大御神、つまり宇宙を照らす大いなる神様であって、日本だけを照らすというようなケチな神様ではないはずです」
おもしろいことを書いていますね。天照大御神様は世界全体を照らしていますよ、ちっぽけな神様ではありませんよ。まったくその通りだと思います。

クボデラ・神棚

融資担当者は神棚の有無も見ています

この本では私もびっくりするようなことを書いておられましたので、最後に皆様方にお話しさせていただきます。
会社には当然、浮き沈みがございます。浮いている時は良いのですが、沈んでいる時は銀行に融資をお願いされると思います。依頼された銀行の担当者は、融資を受けさせる会社かどうかを見極めるわけですが、その一つの方法として、最初に見るのが、その会社に神棚があるかどうかだそうです。
神棚がない会社には融資しないそうです。神棚がある会社には融資しますが、神棚があっても埃が付いていて、神棚祀りをしているとは思えない会社には融資しないそうです。銀行がいかに神棚祀りを重要視しているかがうかがえます。

「神様のご利益をいただくには」という演題に沿った話ができたかどうか、疑問も残りますが、皆様方の考えや気の持ちようの一助になればありがたく思います。

なぜ儲かる会社には神棚があるのか
本書の販売も致しております。お問い合わせはクボデラ株式会社(電話03-3386-1153)

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